名店「次郎」で育ったすし職人がニューヨーカーの舌に挑む
日本一厳しいといわれる親方のもとで、涙を流しながら修業を積んだ11年──。極めた技を武器に開いた店は、わずか5ヵ月で米有力紙の4つ星を獲得し、食の激戦区ニューヨークきっての繁盛店となった。
銀座の名店「すきやばし次郎」を飛び出した若き職人は、なぜ米国で店を開くに至ったのか。地元「ニューヨーク・ポスト」紙が2014年に伝えている。
アレッサンドロ・ボルゴニョーネと中澤大祐は、一見したところ、髪型くらいしか共通点がないかのように思える2人組だ。33歳のボルゴニョーネは、ニューヨークのブルックリン育ちの早口でまくしたてるイタリア系市民。家族がイタリア料理の店を経営しており、そこで20年間働いてきた。
一方、35歳の中澤は、優しい目をした穏やかな話し方をする人物だ。東京の郊外で育った中澤は、日本一厳しいすし屋の親方のもとで10年以上修業に励んできた経歴の持ち主である。
この異色の2人が2013年8月、ニューヨークのウエストビレッジに開いた「スシ・ナカザワ」が大好評を博している。客が殺到し、カウンター席は予約をとることがほぼ不可能に近いという。この店の150ドル(約1万6000円)のおまかせコースは、グルメ評論家や美食家のあいだで東京の名店に匹敵する水準との評判だ。
すべては2012年8月のある日の晩に始まった。この日、ボルゴニョーネはイタリア料理店での勤務を終えると、2011年製作のドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』を見始めた。これは85歳(当時)のすし職人、小野二郎を撮った映画である。
この映画に疲れ知らずの職人見習いとして登場するのが中澤だった。映画のなかで中澤は熱心に腕を磨く努力を続けている。玉子焼きを何度も作るのだが、できあがるのは親方が求める水準に達しない失敗作ばかり。200回失敗した末、ようやく小野二郎が認める玉子焼きを作れたときには喜びのあまり涙があふれた。
その姿にボルゴニョーネは目を見張った。彼は語る。
「調理の腕前や仕込みもたいしたものだと感じましたが、なによりもすし職人になるための修業の厳しさに驚きました」
映画を見てから数時間後、ボルゴニョーネはフェイスブックで中澤にメッセージを送った。自動翻訳を使って書いたそのメッセージの内容は、ニューヨークで一緒にレストランをオープンしないかという提案だった。その当時、中澤はシアトルにある別のすし屋で働いていた。
「彼に連絡をとったのは自分だけだったんです」
そう語るボルゴニョーネは、映画を見るまで、すし屋をオープンしようとは一度も考えたことがなかったという。2012年11月、ボルゴニョーネに招かれて中澤は顔合わせのためにニューヨークを訪れた。だが、ボルゴニョーネによるとこの会合は「最悪」だったという。
「彼は英語がしゃべれませんし、こっちは日本語がしゃべれません。通訳を連れていったんですが、彼女はどちらの言語もろくにしゃべれない人でした。あのときの会話は、ありえないくらい間の抜けたものでしたね」
中澤とボルゴニョーネはその後も会合を続けた。ボルゴニョーネの妻は、すし屋を開くというアイディアに反対した。正気とはとても思えなかったのだ。調理師専門学校出のボルゴニョーネは、2012年には連邦議会議員の選挙に出馬しようとしたこともある人物だ。
中澤も、すし屋をオープンするという彼の案を正気でないと考えていた。彼は話す。
「最初は突拍子もない話をする人だなと思っていました。僕のことを何も知らずに店を開く話を持ちかけてきたんですから」
非の打ちどころのない料理
そんな中澤の心が動かされたのは、ボルゴニョーネが店名に中澤の名を冠すべきだと言ったときだった。
「2ヵ月間、話し合いました。僕が彼に与えたのは店のコンセプトで、彼が僕に与えてくれたのが店の名前でした」
中澤は笑いながら言う。
「そのとき彼を信用しました。『スシ・ナカザワ』という店名を聞く前は、じつは信用していなかったんです」
2人は2013年8月に店をオープン。同年12月には、「ニューヨーク・タイムズ」から4つ星の評価を得た。市内でこの高評価を得ているレストランは、同店を含めて6店しかない。
「スシ・ナカザワ」には、醬油をあまり使わないなど、伝統的な鮨屋の特徴もある。だがボルゴニョーネは、この店に自分の色を加えている。おまかせコースの21品は、ボルゴニョーネの父親が作る柚子のソルベで締めくくられるのだ。
「枠組みにとらわれないことをしようと考えました」とボルゴニョーネは説明する。
店はすぐに成功をおさめたが、ボルゴニョーネはいまも店の内装のマイナーチェンジに力を入れている。実際、店内は高級すし店というより、80年代のシックなレストランといった趣だ。彼は、白い大理石のカウンターや黒い革張りの回転椅子についてこう話す。
「内装は非の打ちどころがないといえるでしょうか? 答えはノーです。それは私自身が認めていることです」
しかし、この店で供されるすしが非の打ちどころのないものであることは間違いない。中澤が出す藁焼きカツオも、皿の上で動く活きたエビも、そしてあのパーフェクトな玉子焼きも、ニューヨークの鮨の新境地を切り開いたと絶賛されているのだ。
ボルゴニョーネは、この成功のうえにあぐらをかくつもりはない。ほかの料理人にも声をかけているのかと尋ねると、何かたくらんでいるかのように彼の目が輝いた。
「どこかから別のシェフを引き抜くつもりはないとは誰も言っていません。じつは名前を明かすことはできませんが、いまそうしたことをやろうとしている最中なんです。もしかしたら数ヵ月後に、その話がニュースになるかもしれませんよ」
そのときにはまた、ボルゴニョーネはまるで得意満面の新婦の父親のように、自分が引き抜いた職人の才能を開花させ、スターシェフになっていく様子を見守ることになるだろう。