二郎は鮨の夢を見て、二郎の弟子はアメリカンドリームを見る|銀座からトランプホテルへの「出世」街道(後編)
「すしの神様」といわれる名匠・小野二郎のもとを離れ、30代半ばにしてニューヨークで大成功を収めた中澤大祐。築地の病院食堂でスパゲティを作っていた若者が、どんな経緯で米国随一のスターシェフと騒がれる存在になったのか。後編では中澤の「転機」を振り返る。
「次郎」への弟子入りは「生活費を稼ぐため」
20年前、中澤は今の自分の姿をまるで想像できなかっただろう。当時の中澤は酒やギャンブルをはじめ「悪いことばかり」していた。最初に就いたすし店の仕事は、19歳でクビになった。
それから会社員になろうと考え、インターネットのドメイン登録を扱う新興企業で働いたこともあった。その後、朝4時半から築地市場でマグロの運搬をする仕事に就き、夕方から国立がん研究センターの病院の食堂でスパゲティを作った。
23歳の誕生日に中澤は結婚した(妻との間に現在5人の子供がいるが、誰もすし職人にはしたくないと考えている)。急に収入を増やす必要に迫られた中澤は、小野の店「すきやばし次郎」で珍しく求人広告が出ているのを見て応募した。
魚に触れることを許されるまでに4ヵ月、カウンターに立たせてもらえるまでに5年を要した。映画では、小野に認められるために卵焼きを200枚焼いた弟子という、不名誉な形で登場している。
2012年にシアトルのすし店から声がかかった。同じく小野の弟子である加柴司郎からの誘いだった。
シアトル時代に、中澤はボルゴニョーネから予期せぬ連絡を受ける。『二郎は鮨の夢を見る』をネットフリックスで見たボルゴニョーネは、フェイスブックで中澤を見つけ、グーグル翻訳を使ってメッセージを送ったのだ。もしニューヨークで自分のすし店を経営する気があるなら、話をしようという内容だった。
中澤はニューヨークで新たな賭けに挑むため、加柴の店とシアトルを後にした。
はたしてその賭けは、途方もない大当たりだった。高級すし店といえばいっさいの無駄を排した静寂が連想されるが、ボルゴニョーネがニューヨークで開いた最初のすし店は、そうした常識とは大きくかけ離れていた。
カウンターはトランプ風の白い大理石で、壁は派手なアートで飾り立てられた。日本酒は陶器製のお猪口(ちょこ)ではなく、ワイングラスで出てくる。当初は素人向けだとか、洗練されていないなどと嘲笑されたが、今ではそのゴージャスな演出がすし業界の流行を生み出している。
「スシ・ナカザワ」は、「ニューヨーク・タイムズ」紙のレビューで4つ星を獲得したニューヨーク唯一のすし店だ。
ワシントンで、中澤はこの街で唯一のミシュランの星付き鮨店である「寿し太郎」と、オバマ前大統領のお気に入りのレストラン「コミ」を見に行っている。ちなみに、中澤は自分の店でミシュランの星を獲得したことはない。
最近「寿し太郎」を訪れた中澤は、おまかせコースを前に「大吟醸・特製ゴールド賀茂鶴」を注いだ。小さな桜の花びら型の金箔が盃に漂う。
賀茂鶴を注文したのは「自分の経歴について話していたら『すきやばし次郎』が懐かしくなったから」だと中澤は言う。
「でも、メニューには『オバマの酒』と書かれているんですね。オバマさんが『すきやばし次郎』で飲んだ酒だからです。あの店にある日本酒はこれだけです。他に選択肢はない。だから、オバマさんが選んだわけではありません。馬鹿げたことですが、人は自分が望むように物事を表現するものです。それでも、これは良い酒です」
「トランプがいやなら米国から出ていけばいい」
中澤は台所用品の問屋が立ち並ぶ合羽橋での仕入れの話をした。
「今では日本を外国のように感じますけどね」
東京では誰もが「暗い顔」に取りつかれているようだと言う。
「今、禁煙しているんだ」とボルゴニョーネが出し抜けに口にした。
「禁煙は得意だよね、何度もやっているし」と中澤が冗談を飛ばす。
「3回だ」とボルゴニョーネ。
「5回でしょ」と中澤が返すと、2人は笑った。
2人は新しい店の総括マネージャー候補者について話した。その男性がゲイであることを世間が受け入れてくれるのか、あるいは嘲笑の的となるのか。打算ではなく、本人のことを心配したうえの議論だった。
ボルゴニョーネは100年の歴史を誇るレストラン「チャムリーズ」の経営者でもある。禁酒法時代の地下酒場として神聖化された店だ。ボルゴニョーネは総括マネージャー、バーの責任者、料理長のいずれにも女性を据えるという布陣で、外食産業に新しい風を吹かせた。
彼が移民であり、男女同権論者でもあるということは、トランプ大統領から連想されるあらゆる風刺と相反する。トランプ・グループの代表格であるニューヨークのトランプホテルには、伝説的なレストラン「ジャン・ジョルジュ」が入っている。「ジャン・ジョルジュ」と同じように、中澤たちも、店への入り口はホテルの入り口とは別にすることを出店の必須条件とした。
この国に住む半数の人が聞きたくてたまらないであろう質問を、中澤に投げかけてみた。
「どうしてトランプホテルを最高のグルメスポットにする手助けをできるのですか?」
中澤は笑った。
「もちろん、私は移民です。選挙権すらもっていない。それなのに、どうやって自分らしく生きるべきかを私に説こうとする人がいます。いかに情熱を追い求め、夢を実現させるべきか。それは大きなお世話です。
残念ながらオバマホテルに店を出すわけではありませんが、この国やトランプに本当に腹が立つのなら、出ていけばいい。どこかほかの国で、実際に移民になってみればいいでしょう」
中澤はすし職人としても私生活でも、日本の2つの美意識を心に留めている。「わび・さび」と「金継ぎ」だ。「わび・さび」とは、不完全が完全に勝るという考え方であり、「金継ぎ」とは陶磁器のひび割れを修復するのに金を使い、ひび割れたものに対する嫌悪や軽蔑ではなく、美しさと威厳を引き出すという技法だ。
「すしは、完全なものではないのです。魚も完全ではないけれど、すし職人はそこに見出せる最高のものを、できる限り引き出そうとするのです」
「わび・さび」という言葉をたびたび口にしながら、中澤は自分のアプローチを(小野二郎と加柴司郎をもじって)「二郎・司郎」と呼んだ。「より完全なもの」を目指す、果てしない挑戦だ。
ナショナルギャラリーで、通訳者が「外縁的・先駆的アート」というフレーズを説明すると、しばらく沈黙があった。それらのアートが他の作品と区別されていることに、中澤が違和感を抱いたように見えた。
「レストランで人が『ニュー・アメリカン』と呼ぶものがあります。『クラシック・アメリカン』という言葉さえ使われます。どういう意味かわかる人などいないでしょう」
中澤は続ける。
「人がすしについて『伝統的』と表現するときも同じです。日本にこれこそが『伝統的』というものなどないと理解するのは、米国の人々にとってそんなに難しいことでしょうか?
伝統的であるために多くの方法が考えられます。日本風であるためにも多くのやりかたが考えられる。『伝統的』と表現する人は、すし職人は黙っておいしい料理を提供するものだという自分の固定観念を、ていねいな言葉で伝えているだけなのです。
でも、黙っているために米国にやってくる人などいるでしょうか? 私は言いたいことがあるから、この国に来たのです」