飲食店がお手頃価格のランチを出す真の理由
夜は6000円から1万円くらいする割烹やお寿司屋さんが、ランチ営業では800〜1000円程度で定食などを提供していることがあります。不思議に思ったことはありませんか?「安い居酒屋ならまだしも、この価格じゃ儲けがないだろう……?」実は、やりたくてやっているわけではないのです。
なぜランチ営業をするのか?
昼と夜に営業している個人飲食店のオーナー店主は超多忙な毎日を送っています。夕方5時半に開店し、夜10時ラストオーダー、11時閉店というお店を例に取ってみましょう。オーナー店主が、居残ろうとする客を追い出し、売り上げを締め、片づけと掃除、お酒など配達物の発注、翌日の仕込みを済ませ、ようやく店を出られるのは深夜1時か2時ごろです。家に戻って風呂に入り、床に就くのは3時か4時でしょうか。
起床は7〜8時です。すぐに生鮮ものの仕入れに行かなければなりません。市場や業務スーパーに行って買い出しをし、9時ごろに店に着き、息つく間もなくランチの準備です。ランチはおよそ2時間の短期決戦です。注文が入って5分、遅くとも10分以内に料理を出し続けなければいけません。メニューはできるかぎり少なく、できれば5種類ほどに収めたいところ。昼2時、怒涛のランチタイムがようやく終わります。片づけがすべて終わったら、自分の昼食です。何人かスタッフがいるお店なら、みなでまかないを食べ、余裕のない個人店はランチの残り物で白飯をかきこみ、一息つきます。ほどなく野菜や魚、肉などの配達物が届きます。品質を確認して、ボードにその日のおすすめメニューを書き、夜の開店に向けて仕込みを行います。準備が終わった夕方4時30分、店主とスタッフは厨房や客席で休憩したり、あるいは短い仮眠をとったりします。
こう書き連ねてみると、「そこまでして、なんでランチ営業をするのだろう。あの値段ではほとんど儲けはないはずなのに?」と思わずにはいられません。正直に言えば、高級店では赤字のメニューもありますから、お客にしてみればラッキーです。
「儲かる夜に来てもらうために、ランチ営業で客寄せをしているんでしょ?」と、したり顔で思ったあなた。残念ながら不正解です。実は、高級店であればあるほど、ランチとディナーとで客層がまったく異なり、そうした効果は期待薄。喜んでランチに足を運ぶお客は、夜に自腹で来ることはほとんどありません。上司や取引先や彼氏や、とにかく誰かに御馳走になるときにだけ、「いいお店があるんです。私はランチしか行ったことないんですけど……」と言って予約を入れます。現実はシビアです。
FL比率を下げるための経営努力
それでも店主がランチ営業をする理由はただ1つ、「FL比率を抑えるため」。Fはフード(食材原価)、Lはレイバー(人件費)のことです。売り上げの55%以下にこのFL比率を落とさないと、採算が合わなくなり、経営が傾くといわれています。良い食材を使っているお店は、何日か経って鮮度の落ちた食材を出すわけにはいきません。しかし、良い食材は高いので、廃棄するのはもったいない。牛肉、豚肉ならいくらか保存もきき、多少の熟成効果もあるかもしれませんが、鮮魚、野菜、鶏肉は鮮度が命です。だからといって、高級食材をそのまま廃棄してしまえば、F比率はたちまち跳ね上がります。
好きなだけ食材におカネをかけてクオリティを上げることは誰にでもできますが、利益、商品価格とのバランスを考えなければ経営は成り立ちません。そして、夜だけの営業では食材のコントロールはできません。予約で埋まる店でないかぎり、天気やイベントごとにも左右され、その日に何人の客が来るか正確には予測できません。また、コース料理でないかぎり、アラカルトで客が何を注文するかもわかりません。
予約客が前日や当日キャンセルなんてことはしょっちゅうですし、だからといって、キャンセル料を取り立てることはまずできません。また、夜間の営業中、すでに食事を済ませたグループ客が、2軒目にやって来ることもあります。数品のつまみを注文し、いちばん安いお酒をちびちび飲みながら何時間も居座られることも。あとから来たお客さんを仕方なく断り、閉店から1時間過ぎてようやく帰ってもらったと思ったら、ちっとも料理が出ていなかった……というような日ももちろんあるのです。
飲食店が「水商売」といわれるゆえんです。仕入れた食材を効率よくハケさせることなど、よほどの人気店でないかぎり不可能なのです。なぜ飲食店オーナーは、睡眠時間を削ってまで儲からないランチ営業をするのでしょうか。もうおわかりですね。彼らは、ランチ営業で前夜の残りを消費し、廃棄を極力減らすようにコントロールしているのです。
お寿司屋さんのランチ握り、海鮮丼、ばらちらし、居酒屋の刺身定食、ミックスフライ、あら汁、浅漬け、きんぴら、そして、日替わりランチメニュー……。それらの多くに前日の夜の食材を転用することで、トータルでF比率を大きく引き下げているのです。
また、昼の営業と夜の料理の仕込みを並行させることで、スタッフを効率よく稼働させてもいます。人件費の無駄をなくすための知恵です。ランチ営業をすることで、アルバイトのシフト編成も絡めて、L比率も同時に引き下げているのです。
このように、夜の営業をメインにした飲食店のランチ営業は、FL比率を下げるための経営努力にほかなりません。F比率を下げるための効果的な方法は、主に2つあります。1つはコース料理のみで予約を埋めること。もう1つは、つねに満席で人がごった返すような大衆居酒屋や焼き鳥屋さんによくある、“売り切れ御免”です。
理想的な売り切れ御免の店
売り切れ御免のよい実例として、東京・足立区の北千住に、「徳多和良」という立ち飲み居酒屋があります。書籍で一般に広く紹介するのは常連さんに怒られそうなほどの超人気店です。店主は割烹料理店で修業を積んで独立したそうですが、高級食材をふんだんに使い、丁寧なプロの仕事をしてしつらえた珠玉の料理が、一品300円から500円+税で提供されています。この店で、ヒラスズキのお刺身を初めていただきました。海が荒れた日の白波の中でしか釣れないという、釣り人にとって憧れの高級魚です。その美味しさと感激は忘れられません。この店で食事ができることは、幸せの極みです。
ただし、このお店には独自のルールがあります。「一組3人まで、1時間まで、予約不可」。もちろん禁煙です。そして、夕方4時開店、8時最終入店、9時完全閉店です。8時で早々と閉店になることも多く、4〜5時間しか営業していません。それでも店頭から人の列が途絶えることはありません。雨の日も雪の日も、営業中に店の外に待つ人がない状態を見たことがありません。
まさに、理想的な売り切れ御免です。6時台には、品書きにあるメニューが次々と赤い線で消されていきます。後から運良く入店できた人は、何が頼めるかをお店のスタッフに尋ね注文していきます。あるものを食べられるだけで幸せだと、客足が途絶えることはありません。こうして毎晩、5時間以内に入荷した食材を売り切っています。廃棄ロスがほとんどありません。だからこそ、高級食材を使った料理を300円から500円で提供できているのです。もう1つ、特筆すべきはその回転率の高さです。一般的な居酒屋やレストランは、6時間営業で2回転もすれば合格ライン。ところが徳多和良は、1時間制を設けることで、5時間で何回転もさせています。しかも空席なし。
店内には、だらだらお酒を飲んでいたり、雑談に興じたりしているお客はいません。並んでいるときにメニューを確認し、入店するやすぐに注文し、期待に胸を膨らませながら静かに料理の提供を待ちます。ようやく巡り会えた料理を目で見て楽しみ、口に入れてしっかりと噛み締め、驚き、味わい、美味い酒とのマリアージュを楽しみ、幸せの余韻に浸ります。そうして静かに会計を済ませ、きっかり1時間で大いに満足と感謝をして店を去っていきます。この徳多和良モデルを真似するのは難しいでしょう。ただし、ここまでいかずとも、売り切れ御免の店は世の中にたくさんあります。その基本的な考え方は、その日一日の売り物数量に上限を設け、売り上げ(収入)をセーブすることと引き換えに廃棄ロスを減らすところにあります。
日本の一般企業に勤める多くの方は、売り上げ機会をロスすることは「罪悪だ」と叩き込まれています。こうした売り切れ御免の商法は、理解できないところがあるかもしれません。頭ではわかっても、それでビジネスとして継続できるというイメージを持てないかもしれません。しかし、売り上げを作るための原価だったはずのものが、1日経てば1円も生み出さない特別損失に変わってしまう飲食店経営において、有効な経営戦略の1つなのです。
飲食店経営の難しさ
私は、ベンチャーキャピタリストとして1000以上のビジネスモデルを見てきました。同時に、自分自身も事業のゼロからの立ち上げを経験し、飲食業も含めさまざまな投資案件を見極めてきたつもりです。拙著『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 人生100年時代の個人M&A入門』でも詳しく解説していますが、飲食業は「基本的には勝てないビジネスモデル」だといえます。開業しやすそうに見えるのか、普段足を運ぶカフェなどが楽に回っているように見えてしまうためか、飲食店経営を軽く考えている人があまりにも多いと感じます。ベンチャーキャピタリストの目で見れば、飲食店は最も難しいビジネスの1つです。
日本政策金融公庫の「新規開業パネル調査」における業種別廃業状況では、調査期間の5年間(2011〜2015年)の全業種廃業率が平均10.2%のところ、飲食店・宿泊業の廃業率は18.9%と、2倍近い数字になっています。これは、全業種を通して最も高い廃業率です(ちなみに、2番目は情報通信業15.8%、3番目は小売業14.5%)。こうしたデータが、飲食店経営の難しさを物語っています。
立地の選定、資金繰り、店舗作り、商品企画、仕入れ、原価管理、製造管理、採用、人事管理、マーケティングなどなど、飲食店には経営学のあらゆる要素がすべて詰まっています。それでいて、店舗は固定されて動かすことはできず、食中毒や食い逃げなどのリスク要因は多く、利益率は非常に低い。とてもとても素人が安易に始めて成功できるような事業ではありません。
これまで培かってきた知識と経験をほぼそのまま生かすことができ、ほかに比べて明確な優位性があり、最初から多数の顧客がついていて、初年度から黒字が確実であるのなら、飲食店を始めてもいいかもしれません。しかし、このうちどれか1つでも当てはまらないのならば、悪いことは言いません、やめるに越したことはありません。赤字が続き、資金はどんどん減っていき、いつまでも先が見えない恐ろしさにさいなまれ……その苦しさに耐えることができる人はまれです。
出典:東洋経済ONLINE
ライター:三戸 政和 (日本創生投資 社長)