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築地市場、最後のセリ「愛してくれたみなさんに感謝」

「日本の台所」と称された東京都の中央卸売市場「築地市場」(中央区)で6日、最後のセリが行われた。この日が最後の営業日で、83年の歴史に幕を閉じる。移転先の豊洲市場(江東区)の土壌汚染問題に揺れ、移転は2年遅れた。豊洲市場は11日に開業する。

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築地市場最後の日

 生マグロの最後のセリは、6日午前5時半から行われた。卸売業者「築地魚市場」の吉田猛社長はセリに先立ち、「築地市場の役割と功績は、そのまま豊洲市場に引き継いでいきます。築地を愛してくれたすべてのみなさんに感謝します」とあいさつした。場内には、終了を惜しむ多くの人が訪れた。

セリの前に手締めをする仲卸業者ら=2018年10月6日午前5時16分
築地市場の歩み

 築地市場は1935年に、東京・日本橋から移転し、開業した。消費地の近さから取扱量を増やし、1日に売買される水産物は約1500トンと、国内の中央卸売市場の4分の1を占める。輸入や産地からの直接仕入れといった市場を通さない取引が増え、ピーク時の80年代と比べると取扱量は半減。それでも売買される魚は「築地ブランド」として知られる。全国で取引される魚の価格の指標となっていたほか、熱気あふれるセリの様子を見るために国内外から多くの観光客が訪れていた。

 ログイン前の続き昭和初期に建てられた施設は老朽化が進み、主な輸送手段が鉄道からトラックに変わったため、駐車場や積み下ろしのスペース不足も課題となっていた。都は一時は現地での再整備に乗り出したが営業を続けながらの工事が難航したため中断し、2・3キロ離れた豊洲への移転を決めた。

閉店する吉野家1号店に並ぶ人たち
生マグロの品定めをする仲卸業者ら

 その後、豊洲の予定地の土壌から環境基準を大幅に超える有害物質ベンゼンが検出され、移転を不安視する声が強まった。都は安全対策工事を実施したものの、2016年に就任した小池百合子知事が移転延期を表明した後、つくってあるはずの盛り土がないなど不備が見つかり、都への不信感も高まった。小池知事は追加の安全対策工事を実施したうえで今年7月に「安全・安心」を宣言した。

 一部の業者が移転への反対を続けているが、築地市場の約800の仲卸業者や飲食店などは6日昼ごろまでに営業を終え、大半が豊洲に引っ越す予定だ。豊洲市場は、外気が入らない「閉鎖型」の施設で、温度管理や衛生管理を強化。豊洲での取引は11日から始まる。観光客などは13日から飲食店や物販店を利用できるようになる。

築地での最後となる生マグロのセリの前、代表者のあいさつを聞く仲卸業者ら
築地市場の場外も多くの人でにぎわっていた

築地市場年表

1600年ごろ 日本橋で魚の取引が始まる

1923年 関東大震災で日本橋の市場などが焼失し、芝浦に臨時魚市場を開設。12月に築地に臨時移転

1935年 築地市場開設

1939年 第2次世界大戦始まる

1940年 勝鬨(かちどき)橋完成

1945年 終戦後、進駐軍が築地市場を接収、クリーニング工場などがつくられる

1986年 築地での市場再整備を決定

1987年 市場内を走る国鉄の鮮魚列車が終了

      築地市場の水産物の1日平均取扱量が2800トンでピークに

1996年 業者の反対や整備費高騰で、築地での再整備工事が中断

2000年 都営大江戸線「築地市場駅」開業

2001年 豊洲の土壌から環境基準の1500倍のベンゼンを検出と東京ガスが公表。石原慎太郎・都知事が豊洲移転を正式決定

2013年 2020年東京五輪・パラリンピックの開催が決定

2014年 都の安全対策工事が完了。16年11月の豊洲開場を決定

2016年 小池百合子・都知事が豊洲移転への延期を表明

2018年10月6日 築地市場が最後の営業

10月11日 豊洲市場が開場へ

セリを待つ冷凍マグロ。仲卸業者に混じって、子どもの姿も見られた
買い付けにきた田村久雄さん(左から3人目)に頼まれ、記念写真を撮る仲卸「て良」の井上武久会長(左端)と妻すみ子さん(左から2人目)。田村さんは池袋で料理店を営んでいる

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開場80年余、日々変化する築地の記録

出典:朝日新聞デジタル