<情熱大陸>「築地マグロ仲卸人・山口幸隆」後編
山口幸隆55歳、マグロ専門の仲卸だ。
同じくマグロの仲買人の父を持ち、幼い頃から築地で育った
マグロのプロフェッショナルだ。
前編はこちら
築地市場35年の歴史
山口のような名伯楽からそれに憧れる若者まで、数多の職人がつどい独特の文化を築いてきた。それが築地だ。
いつからか外国人観光客も訪れる人気スポットになっていた。
関東大震災で江戸時代から続いた日本橋の魚河岸が焼け、
仮設として始まった築地市場が正式に開場したのは1935年。
いつも活気に溢れ混雑は日常風景になった。
中で働く人も代を重ね、職人気質を培ってきた。
愛着を持つ人は多いが老朽化もは否めない。
紆余曲折あっての移転だった。
「やっぱり寂しいと思うのよね。
寂しいっていうか・・ここからどこか違う場所に
移動するっていう実感が、皆ないんだよね。」
「物心ついた時から築地に来ていたし
おもちゃで遊ぶっていうよりも生きている伊勢海老とか毛ガニワタリガニで遊んだっていう思い出しかない」
父から教わった「お客様への気持ち」
山口の半生もまた市場の中にあった。
「この風景って35年前も変わらないね」
山口の、思い出の場所がある。
「あ、ここだ。商売の最初ここだったんだよね」
35年前、最初の店は一坪あまりの小さなものだった。
「とにかく思い出って真冬でも汗かいていたよ。
白い息を出しながら身体から煙が出ていたよね。」
父も築地一と言われたマグロの仲卸だった。
父が独立するときに、山口20歳の時に声をかけた。
当初は相手にされず欲しいマグロが買えたことなどなかった。
悔しかった。
以来産地をめぐり、マグロに触れ、味わい、経験を重ね
気付けば先頭を走っていた。
「父はお客様への気持ちっていうのはすごくうるさかった。
こんな狭い店に買いに来るお客様に失礼があっちゃいけない。
そういうところをとことん教えてもらったかな。
お客様のありがたみ。
売れるって幸せだからね。」
そういって山口は浮かんだ涙を隠したように見えた。
山口はマグロの夢を見る
自宅はタワーマンションの最上階だ。
「夢は叶うもんだよ。
頑張って入ればね。夢って持つこと大事じゃない。」
山口は眺望の良い広々とした部屋で語る。
奥さんが面白いことを教えてくれた。
「寝ながらこうやって(指を動かして)いつでもせりで買っていたし
寝言でこれが良いわとか言っている時もしょっちゅう」
「そう、俺マグロの夢しか見ないもん」
山口は笑う。
移転前の願掛け
伊勢神宮。
豊洲移転の前に社員を引き連れ願かけ。
その帰りに立ち寄った料亭。
実はここ山口のマグロを仕入れている店でもある。
自分のところで落としたマグロ、今日は客として味わう。
満足そうだ。
築地最後の夜明け前
この日も一番マグロは山口が競り落とした。
「すごい相場だった。死ぬ気で買っちゃたもん
いくら損するんだろって相場だったね」
いつも以上に意気込んでいたようだ。
注文が殺到していた。
移転準備で明日から4日間市場が閉まる。
夕方、最後の仕事が終わらぬうちに引越し業者がやって来た。
山口が築地での出来事を振り返る。
「ああ、終わったんだな。
36年間ここに通い続けたんだな。
いろんなことと思うね・・・
自分が若い頃競り場に入って来た時には
何もわかんないでそれで一番になって
築地で一番のまぐろを買えるようになるっていう。」
マグロは泳ぎ続けなければ死んでしまうという。
山口もマグロのような生き様なのかもしれない。
いよいよ、豊洲だ。
「もう豊洲に来たんだから。築地でも豊洲でもいい。」
10月11日、豊洲市場開場。5日ぶりの活気だった。
山口が従業員に声をかける。
「みんな頑張ろうな初日だからな
心機一転頑張ろう。
競り場行くよ!」
いざ出陣。山口はこの日も一番まぐろを競り落とした。
生マグロだけで15本。
快進撃は豊洲でも続きそうだ。
「世界の人が注目するかしないかは我々の努力。
ブランドって引き継ぐものじゃないし作って行くものだから。
我々が築地の時みたいにプロ意識を持って
頑張ってやれば豊洲ブランドは自然にできる。」
山口のいる場所でマグロは動いている。
新しい店はどうですか?という質問に
「そりゃ新しいものはなんでも気持ちがいいよ」
朗らかに答える山口であった。
本記事は毎日放送(MBS)情熱大陸2018年10月14日放送分を書き起こし改編を加えたものです。