縄文時代から食べられていた!まぐろと日本人の歴史
今でこそ鮨ネタ不動の人気1位と言えばまぐろですが、
鮨が誕生した江戸時代、まぐろは現在ほど価値がない下魚でした。
それには、日本人とまぐろの歴史にも理由があるようです。
では、まぐろは日本人の歴史の中でいつからどのように食べられていたのでしょうか。
縄文時代(紀元前10000年〜300年頃)
三内丸山遺跡(青森県)からまぐろの骨が出土しており、まぐろはこの時期から食べられていたと考えられています。
縄文時代の人にまぐろを釣ることができたのか、疑問に思う方も多いと思いますが実は縄文の人々の漁技術はかなり発達しており
船で沖合まで出てまぐろをモリでひと突き。まぐろが弱るまで待って岸まで引き上げていったようです。
平安時代(794〜1185年)
平安時代の「漢和辞書和名類聚抄」にはまぐろの記載があり「シビウオ」または「シビノウオ」と呼んでいました。
鎌倉時代(1192年〜1333年)
鎌倉時代に入ると魚の流通ルートができ始めます。ただ、保存方法が発達していなかったため、当時は生食の文化がほとんどありませんでした。シビウオと呼ばれていたまぐろは「死日」とも書けるので武士に嫌われていました。逆にカツオ(勝男)は人気でした。沿岸漁業はこの頃に始ま理ました。
室町時代
後期に醤油が誕生します。
江戸時代
初期はまぐろの人気がなく価格も安く庶民の食べ物でした。江戸時代中期から調味料として普及した醤油を保存法として醤油を使った「づけ」が登場。使用するのは赤身でした。トロは商品価値がなく捨てられていました。猫も嫌ってまたいで通るということから、「ネコまたぎ」という酷い通称もあったようです。
江戸後期には、ご存知、寿司が登場。江戸時代の貨幣価値を現在の貨幣価値に換算すると、まぐろは2カン264円で売られていたということになるそうです。今の回転寿司のような感覚で食べられていたのでしょうか。