SUSHI TIMES

【六本木 / 鮨 さいとう】迷って、ぶれて、たどり着いた究極のオリジナリティ(後編)

ミシュラン三つ星を8年続ける人気鮨店、東京・六本木の「鮨さいとう」。店主の齋藤孝司さんは初めてミシュランの星を獲得した後、迷います。その迷いから脱し、鮨の王道を極めようと決意できた裏には何があったのか。

前編から続く

店主の齋藤孝司さんは2004年、銀座の鮨店「かねさか」の分店、「鮨かねさか赤坂店」を31歳で任せられます。本店からはお客の紹介はしない、と言われる中、自らの力で集客を計っていきます。赤坂店は何より厳しい立地条件の店でした。ここで運が味方したと齋藤さんは語ります。

「お昼に一人客が増えたな、なんて思っていて、少し尋ねてみると「食べログ」を見てきたというんです。食べてくださったお客さまが、「食べログ」に書き込んでくださったんですね。まだ「食べログ」が出始めの頃です」

インターネットが、このお店を見つけやすくしたのです。お店は「鮨かねさか赤坂店」でしたが、当時からお店に通っていた僕の感覚では、「鮨かねさか」の分店という印象はありませんでした。齋藤さんのお鮨を食べるために、お客が集まっていた。もし銀座のお客を分けてもらうようなことをしたら、そうはならなかったはずです。齋藤さんにお客がついた。当初は苦労しますが、この強みが「鮨さいとう」になったときに花開きます。

そして3年。齋藤さんは「鮨かねさか」をつくった金坂真次さんに申し出ます。

「僕には負い目がありました。それは、商売のリスクは金坂さんがすべて負っていたからです。だから、独立させてほしいと言ったんです」

少しずつ鮨というものが、わかっていった

2007年に「鮨かねさか赤坂店」が名前を変え、「鮨さいとう」でやっていくことになります。そして給与も歩合制に。リスクもリターンも自分で背負う形になりました。そして、ここでまた運が味方します。同じ時期にミシュランの初上陸で「かねさか」が二つ星を取った同じタイミングで、「鮨さいとう」も一つ星を取ることになったのです。

「金坂さんがミシュランのパーティ会場から電話をくれて、お前一つ星取ったぞ、と。翌日から、大変なことになりました。店がつぶれるんじゃないかと思うくらい、電話が鳴り続けて(笑)。取材もたくさんやってきて。本当に幸運でしたし、僕にとってのターニングポイントでしたね」

この時期は、日本の飲食店にとってもターニングポイントだったと思います。インターネットの口コミサイトやブログが登場し、ミシュランができて、ある程度、客観的な評価軸ができていきました。それまでの名店は、知る人ぞ知る店だったり、有名人御用達だったり、雑誌に載った、くらいしか評価軸はありませんでした。お客にとっても、店にとっても、いい指標がなかった。こうして老舗や有名店以外にも、多くのいい店が知られるようになり、商売としても成長できるようになりました。だから、「鮨さいとう」のような新進気鋭の店が出やすくなったのです。

齋藤さんは運が良かった、と強調していましたが、もちろん単にラッキーだったのではありません。やはり土台があったからこそ、幸運をつかめたのだと思います。それが、王道への徹底的なこだわり、という「鮨さいとう」のオリジナリティだったのではないかと僕は感じています。

「少しずつ鮨というものが、わかっていきました。ああ、こういうものが鮨なんだな、と漠然と見えてきた。まだまだなんですけどね。でも、ちょっと分かってきたかな、と。言葉にするのは難しいんですが、イカというものをイカと分かるようにおいしく食べてもらう、ということです。別物になってはいけないんですよ。イカはあくまでイカでないといけない。これこそがイカのおいしさ。イカの甘さ。わさびとしゃりのバランスで、それを追求する」

自分で仕事をつまらなくしている人がいる

コハダもトロもアジも同様。そのためにはどういう仕込みをすべきか。どのくらいの包丁の深さで何本入れるか。何分煮るか。酢をどのくらい加えるか……。余計な飾り付けはしない。シンプルな鮨。いい素材の味をいかに最大限伸ばせるか。

「お鮨って、そんなに変わるものではないわけです。でも、お客さまには進化しているね、と言われる。自分では、まだまだだと思っていますけど。それこそ、鮨は春夏秋冬やることが全部決まっているんです。基本は同じ。ずっとそれを繰り返しているだけです。でも、それはマンネリではない。同じことの繰り返しの中に気づけることがあるんです。あ、これは去年のあれと違うな、と。そこに気づけるかどうか」

同じことの繰り返し、というのは多くの仕事でも同じです。しかし、それを漫然とやっているだけでは、進化するどころか、退化していってしまいます。

「そうなると、自分でも仕事がつまらなくなっていきますよね。毎日同じことをやっていても、何か発見がやっぱりあるんですよ。なのに、それをただの作業にしてしまうと、本当につまらなくなる。同じ魚でも何か違うんじゃないか、今日は速くやってみよう、なんて自分で意識すると、仕事は変わっていきます」

仕事がつまらないという人がいますが、それはつまらないのではなくて、自分でつまらなくしているのです。そういう人は、どこに行っても同じことを繰り返してしまいます。

「だから、与えられた仕事をただやる子と、与えられた仕事を自分なりにかみ砕いてやる子の違いはすぐにわかりますね。そういう子は、顔つきも違います」

インターネットの書き込みに惑わされた時期も

もとより、変わることと進化することは違います。王道は一見、変わらないように見えますが、そうではない。伝統を守りながら、進化しているのです。日本酒も、今は昔のつくりに戻す蔵も出ていますが、実は進化しています。

何より食べる側のレベルが上がっています。食材のレベルも上がっています。技術も進歩しています。鮨なら、漁船から鮮度管理から処理の仕方まで変わっています。氷温冷蔵庫だってあるし、スチームコンベクションもあるし、火入れも微妙に加減できる。大事なものを守りながら、作り手はそれに合わせて進化していかないといけないのです。

「鮨って、やせ我慢の商売だと思うんです。変わらない勇気が必要。例えば、イカ塩にトリュフで調理したらおいしいんですよ。でも、これは鮨じゃない。イカを使った料理です。海老とマヨネーズとシャリは本当に合うんです。おいしい。でも、それはやらない。狭い引き出しの中で、どうやって極めるか。それが、僕らの在り方だと思っているんです」

鮨屋でもオリジナリティの極め方はいろいろあります。熟成を極める、つまみを極める、酒とのペアリングを極める、シャリを極める、地方色を極めるのもあり。その中で、「鮨さいとう」は極めて狭い王道を極めることに徹しようとしている。これが、「鮨さいとう」のオリジナリティであり、哲学です。これがないと、単なる流行り物になりかねません。そしてそれを、多くの人が支持しているのだと思うのです。

これは、鮨や日本酒のような日本の伝統ならでは、なのかもしれません。他の業界ではむしろ逸脱したほうがいいものもあるかもしれない。歴史の浅いインターネットは、その典型例でしょう。しかし、伝統的なものでも狭い「円(鮨とは何かという自分が決めた範囲)」の中で進化していくという道があるのです。これもまた、オリジナリティの面白さです。

しかし、こんな齋藤さんも、実は独立して間もなくは迷いもあったといいます。幸運だったというインターネットは、諸刃の剣でもありました。特に30代前半は、ネットなどでの書き込みが気になり頻繁にチェックしていたそうです。

「人の言うことがすごく気になっていましたね。そもそも僕らは何かに評価されるためにやっているわけではない。おいしいものを出して、お客さまに喜んでもらいたいというのが、最初のスタート地点。でも、評価が高くなると、それに振り回されてしまった。まだ若かったこともあると思います」

しかし、その経験を経て、変わっていきました。いい意味で開き直れた。来てくれる人にわかってもらえればそれでいい、と。そもそも全員に好かれる、などということは無理です。しかし、当時は全員に好かれようとしていたといいます。

「でも、僕にはこれしかできないわけです。それに期待してきてくれたお客さまに満足してもらって、また来たいなと思ってもらえれば、それが一番いいんだ、と気づきました」

常に謙虚であることの大切さを両親に学んだ

最初に携わった「鮨かねさか」でも迷い、「鮨さいとう」になっても、実は齋藤さんは迷っていました。自分がこうだ、と思うところに行くまでは、ぶれてもいいのだと思います。しかし、自分で気づくことができたら、もうぶれなくなる。むしろ、ぶれたからこそ、自分の想いに到達できたのかもしれません。

現在、45歳。これからについては、こんなことを考えているそうです。

「長く鮨を握り続けるカッコ良さもありますが、僕は年を取って集中力がなくなったら、スパッと辞めたいと思っています。白衣が汚れているのに気づかない、余計な米粒が手に付いていても握ってしまうような自分を想像したくない。だから、いずれは人を教え、育てることをやってみたい。学校をやりたいんです」

今のような専門学校ではなく、現場と一体化した学校。授業の一環に掃除があったりする。

「今の学校がダメだと僕が思うのは、志や精神を教え込めないことです。それでは、いい職人なんか絶対にならない。だから、日本にも世界にも、能力も技術もあるのに埋もれてしまっている人がたくさんいるのではないかと思っています。そういう人たちを受け入れられるような何かができたら、と思います」

僕は有名店になる前からの齋藤さんを知っていますが、2011年から7年連続三ツ星と日本最高峰の鮨店となった今でも、かつての齋藤さんとまるで変わっていません。これだけ名前が知られるようになっても、驕ったりすることはまったくない。とても謙虚なのです。ここまで周囲の評価は変わっているのに、自分が同じでいられるというのは、なかなか難しいことだと思います。

「それは、両親がそういう育て方をしたからです。父も母もそうでした。厳しいし、謙虚だし、調子に乗ったらぶん殴られていました。それが今、本当に生きている気がします」

「鮨さいとう」の成功の要因には、間違いなくこの謙虚さがあります。だから、今なお進化し続けている。親の教育の大切さを、改めて強く感じます。そこで培ってきたものが、オリジナリティを支える大きな力になっているのです。

■齋藤孝司
鮨 さいとう 店主
1972年千葉県生まれ。高校時代は野球部員。高校卒業後、アルバイト先の魚屋の親方が食べさせてくれた鮨がきっかけで鮨職人の道へ。1991年より都内有名店で修業。2000年、27歳のときに、同店での兄弟子である金坂真次氏が独立・開店した「鮨かねさか」に合流。2004年、31歳で「鮨かねさか」の分店「鮨かねさか赤坂店」を自転車会館にオープン。2007年「鮨かねさか赤坂店」から、自らの苗字を冠した「鮨さいとう」に店名を改め、店主となる。2014年に赤坂から六本木へ移転。『ミシュランガイド 日本版』には初年の2008年版に1つ星を獲得以来「星」を獲得し続け、2010年版から2017年版にいたるまで8年連続で3つ星を獲得。

■鮨 さいとう
住所:東京都港区六本木1-4-5 アークヒルズ サウスタワー 1F
TEL:03-3589-4412
営業時間:12:00~14:00、17:00~22:00
定休日:日
座席:8席

出典:Campanella