「刺身」と「造り」の違いについて【いまさら聞けない日本料理の基礎知識】
Summary
1.「刺身」と「造り」の違いとは? レストランをより楽しむためのちょっとした疑問を解決!
2.ルーツは日本最古の料理法にあった! 古代から食されてきた「切り身」の歴史
3.『ミシュランガイド東京 2018』二つ星に輝く、グルマンたちがこっそり通う日本料理店を紹介
【食の基礎知識】「刺身」と「造り」の違いとは?
和食店を食べ歩く訪日外国人が目立って増えてきた。2013年12月、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことがきっかけのひとつと考えられるが、登録の対象になった「和食」とは、寿司や天ぷらといった料理そのものではなく、長い歴史を持つ日本の食文化のこと。そんな和食店で舌鼓を打ちながら、ふと一体、この差はなに? と疑問を抱いた経験はないだろうか。
高級料亭から下町の居酒屋まで、和食店で必ず見かける献立といえば“刺身”や“造り”だろう。皿に美しく盛り付けられた旬の生魚は、日本料理の花形である。ここで一つの素朴な疑問が沸いてくる。刺身と造り、店によって呼び方が違うのはなぜなのだろう?
そこで本連載は、当たり前のようで意外と知らない基礎知識や語源、歴史を紐解いて、食への理解を深めながら、隠れ家レストランを紹介していく。
第1回は、「“刺身”と“造り”は、一体何が違うのか?」という疑問に答えるべく、その由来や語源に迫る。そして記事の後半では、『ミシュランガイド東京 2018』で二つ星に輝いた西麻布の隠れ家日本料理店を紹介。その違いを知れば、いっそう日本料理の奥深さを味わってみたくなるはずだ。
刺身やお造りのルーツは、日本最古の料理法「なます」にアリ!
刺身やお造りは、そもそも「切り身」と呼ばれていた。定義は、魚をおろして骨皮を取り除き、そのまま口に入れられる状態に切り整えて盛りつけたもの。生魚を切って並べた料理という点では“刺身”と“造り”は同じ意味だが、2つの違った呼び方が生まれた背景には、日本料理の歴史や関東と関西の異なる食文化がある。
四方を海に囲まれた日本は、古代から鮮魚を生食する習慣があったらしい。
刺身やお造りのルーツとなる「鱠・膾(なます)」は、元々は生肉(獣肉)を細かく刻んだもので「生(なま)肉(しし)」と呼ばれていた。室町時代以降になると、細かく切った魚肉を酢で和えて食べるようになったとされている。
切り身を皿に乗せただけのシンプルな料理は、醤油が普及するまでの間、「煎り酒」という日本酒に梅干とカツオ節、昆布、煎り米などを加えて煮詰めた調味料や、ワサビ酢、生姜酢などに浸けて食べられていた。
切り身の隆盛に欠かせない醤油の存在
現代の刺身や造りの食べ方といえば、醤油につけて食べるのが一般的である。醤油が調味料として生産されはじめたのは、室町時代末期の頃。湯浅(現・和歌山県湯浅町)に、日本最初とされる醤油屋『玉井醤本舗』が創業したことがはじまりといわれている。
醤油は、龍野(兵庫)や堺(大阪)など関西を中心に広まった後、江戸時代中期に日本独自の発酵食品として普及。江戸へと伝わった後期には、千葉の銚子や野田で盛んに生産されるようになった。庶民の元へ届くと、「煎り酒」で食されていた切り身の食べ方は、醤油におろしワサビを添えたスタイルに移り変わっていく。
醤油醸造場の増加とともに切り身は進化しはじめる。江戸後期の三都(江戸・京都・大阪)の風俗を説明した喜多川守貞著の百科事典『守貞漫稿(もりさだまんこう)』(1853年)には、江戸前のカツオやマグロを主に扱う屋台『刺身屋』の登場が記されている。
持参した皿に好みの切り身を盛ってもらう売り方によって、一器一種が基本だった切り身の食べ方が一変。“刺身・造りの盛り合わせ”が誕生した。
盛り付け方に変化が訪れると、切り身に“けん”や“つま”“薬味”といった「あしらい」が添えられるようになる。
よく目にするものといえば、千切りにされた大根やキュウリだろう。“剣(けん)”と呼ばれるそれらは、細く尖ったものを指す。端切れやヘリを意味する“褄(つま)”は、切り身に敷かれた大葉などの葉ものの“敷きづま”から、紫芽じそや赤芽といった“芽づま”、防風や花穂じそなど刺身に立て掛けるように添える“立てづま”など添え物の総称である。
これら「あしらい」の役割は、切り身が盛られた器を華やかに彩るだけではない。魚の風味を引き立てるとともに、おろし大根やワサビ、生姜などの“薬味”が加わることで、魚の生臭さを消し、消化・殺菌効果も促してくれるのだ。
「刺身」と「造り」の語源とは?
ここで本題である。古くから食されていた「切り身」は、いつから“刺身”や“造り”と呼ばれるようになったのだろう――。
先述の通り、日本料理の原型が確立した室町時代、刺身や造りは「切り身」と呼ばれていた。魚の区別がつくように、尾頭や尾ビレを実際に切った身に刺していたことから「刺身」と呼ばれるようになった。
また当時は武家社会。忌み言葉である「切る」は、縁起が悪いので「刺す」を使うようになったとも言われている。切り身は“刺身”に名を変えて関東から全国へと広まっていった。
一方、大阪や京都では、魚を切ることを「造る・つくる」と呼んでいた。「切る」と同様に「刺す」も忌み嫌われて「造る」と呼んだという説もある。丁寧に表現するのに接頭語の「御」をつけて「お造り」とも呼ぶ。いずれにしても切り身ではなく、「つくり身」の名で親しまれていたのである。
そもそも、「切り身」が“刺身”と“造り”に呼び分けられたのは、関東と関西で呼び方が異なっていたことが理由なのだ。ただ両者の呼び分けは、単なる方言だけでは片づかない。切りつけの方法から盛りつけ方、器に至るまで、関東と関西では全く異なったのである。
関東と関西の食文化の違いからみる“刺身”と“造り”
“刺身”や“造り”を食べる習慣は江戸の文化から生まれたといわれている。その切りつけや盛りつけ方も江戸独自に発展していった。魚の鮮度を損なわないよう、さくに包丁があたる面をなるべく少なくして厚みのある短冊に切る。盛りつけ方は、深さのある器にけんやつまをたっぷりと飾り、高いところから低いところへと水が流れるようにさまざまな種類の魚を盛る「天地人盛り」や「山水盛り」が主流であった。
一方、内陸に都を構えていた京都が遠く、冷蔵・冷凍で保存する技術もなかったため、薄塩や昆布で締めた白身魚を食べていた。塩で締めた魚は包丁を引かないと切ることができない。魚の持ち味を楽しむという関西独自の考え方から、一皿に盛りつける魚は1種のみ。あしらいは使わず、平皿に直に並べられていた。
そして、時代が流れて現代になると、おもしろい変化が生まれる。
“造る”というイメージから、大根や大葉などの「あしらい」や尾頭で飾りつけられた切り身を盛り合わせたものや、昆布で締めるなど切り身にひと手間加えたものを“造り”(写真上)と呼ぶようになった。
それに対して飾り気のない切り身、また、魚介に限らず牛や馬などの肉や刺身コンニャクなどの加工品を含む新鮮な切り身全般を“刺身”と呼ぶ傾向にある。
“刺身”や“造り”は、現代になって呼び方に地域差がなくなっていくとともに、昔の使われ方やイメージとは逆転している。
もっとも技術的には、量や器の大小に多少の変化こそあれど、江戸時代から流通が発達した今日になっても大きな変化は見られない。それだけに、新鮮な魚介を見分ける目利きと、適切にさばいて振舞う腕、盛り付けのセンスが最も表れる料理であり、日本料理の花形と言われているのだ。
【まとめ】
・生魚を切って並べた料理という点では“刺身”と“造り”は同じ意味
・“刺身”は関東、“造り”は関西でよく使われた呼び方だった
・呼び名だけでなく、盛り付けの方法が関西と関東では全く違った
・醤油の流通とともに江戸で多彩で豪華な盛りつけ方が発展した
・現在では“刺身”と“造り”の言葉の使い方に逆転現象が起こっている
・魚の目利き、さばいて盛りつける腕とセンスが光る日本料理の花形
出典:dressing