寿司の神様と呼ばれた昭和の名職人〜加藤博章〜 SUSHI TIMES ORIGINALS
加藤博章氏は「寿司の神様」と評される職人の一人です。
戦後に寿司が日本の庶民のソウルフードとなった頃に江戸前鮨の文化を広めました。
江戸前鮨の原型を作った美家古鮨
江戸前鮨は江戸時代幕末(1808年)江戸本所(現在の墨田区)にて
加藤赤助が自宅の軒先に武士の副業として始めた立ち食いの屋台が発祥と言われています。
この屋台こそが、今でも元祖江戸前鮨として名を馳せる美家古鮨(みやこずし)本店の前身です。
その後屋台から店舗を構え、1866年2代目加藤平蔵が浅草で開店。
大きな震災を乗り越えながら、多くの弟子に技術を身につけさせていきました。
4代目となる加藤博章氏が第二次世界大戦前に柳橋に開業。
加藤博章氏が徴兵されたために店を閉めましたが、戦後に復員した後に出前専門の形で再開し
その後1950年に「美家古鮨本店」として店舗を構えています。
この後加藤氏は「江戸前鮨 の神様」と呼ばれ、戦後の日本に江戸前鮨を広めていきました。
素材を徹底研究・独自の鮨を確立
加藤氏の鮨に対する妥協なき姿勢は圧倒的なものでした。
素材を活かした丁寧な仕事に江戸前の技と心意気が宿る握り、
そして「柳橋 美家古鮨」から受け継いだ伝統の”煮キリ”など
加藤博章氏の腕は神がかっていたと言います。
名店「銀座 鮨わたなべ」の渡辺佳文さんは
大親方から習った寿司の中で最も衝撃的だったのはコハダ だったと語っています。
かつては冷蔵技術が低かったためコハダは酢で十分に占める方法が一般的でした。
ところが加藤博氏は個体をよく見て鮮度や状態に合わせて
塩や酢締めの時間を変えるなど、素材を活かした仕込みを行いました。
また、シャリに砂糖を加えるのが一般的だった戦後の時代に
米の風合いを活かす事を優先し、砂糖を加えないシャリを貫きます。
今でこそ当たり前の手順ですが、この時期に加藤氏が確立した仕込みの手順は後の江戸前鮨の常識を打ち破っていきます。
妥協せず、自身の研究と改良を重ねる姿勢が加藤博章にしか握れない独自の鮨を世に生み出しました。
動画の30秒頃から登場する貫禄のある男性が加藤氏で
鮨一心の店長として紹介されているのが、現「鮨わたなべ」店主の渡辺佳文さんです。
厳しく温かく弟子を育てた
加藤氏の弟子の師岡幸夫さんの著書にこんなエピソードがあります。
当時は下働きだった師岡さんが裏方で作業をしていると、親方の加藤さんが彼を呼び出しました。
そして、お客様に出した鮨を指差して
「見てみろ、よくできている」と言います。お客様は食べるにも食べられません。
「よく見ろよ。1日にそれこそ何百と握るけれども、自分が気に入ってよくできたなっていう鮨なんて、そんなにあるもんじゃない。よく見て覚えておけ」
と。教えたそうです。それを受けて弟子の師岡さんは
「『流線型』という言葉がありますよね。(中略)親方がお鮨を握ってポンと出してくれるまでが、完全に流れているんです。意識した動きが一つもないのです。よけいなものは全部削り落とされて、本当に無駄のない、必要な動きだけしかありません。それがお鮨にあらわれているのです。(中略)ああ、これは俺、死ぬまでかかってもここまでは来ないだろうな」と。
また、弟子を大変厳しく育成した事でも知られています。
ある日師岡さんが冷蔵庫から出そうとマグロを持った時の向きが反対であったと言う理由で蹴飛ばされた(身崩れしないようにマグロの持つ向きは決まっているそうです)、とか師岡さんの後に入った弟子は師岡さんが殴られたり蹴られたりする様子を見て立て続けに三、四人が辞めてしまったなど激しい修行時代のエピソードが綴られています。
しかし、そのような激しい修行の中でも師岡さんは度々師匠からの深い愛情を感じる事があり、この親方を心から尊敬し奉公を最後まで勤め上げたそうです。
加藤博章氏はNHKドラマ「イキのいい奴」で小林薫さん演じる辰巳鮨の親方のモデルとなった人物でもあります。ドラマに描かれる親方もキレやすい強烈なキャラクターですが、加藤氏の弟子の著書を読むと、あながちそれもオーバーな表現ではないのかなと感じます。
手の込んだ江戸前寿司の技術を全身全霊かけて後世に伝える偉業を残した加藤氏「美家古鮨本店」は息子の五代目(二代目)の加藤祐宏氏が継承し、現在は六代目(三代目)加藤章太氏がに引き継がれ、今でも人々を魅了しています。
参考文献:
https://hitosara.com/0006079318/person.html
https://www.city.taito.lg.jp/index/kurashi/shigoto/edosogyo/edosougyoujigyousho.files/35miyako-zushihonten.pdf