マグロ仲卸「石司」の仕事。
2019年、1月5日。豊洲市場に移転して初めて、そして平成最後のマグロの初競りが行われた。報道にあるように史上最高値の3億3,360万円という破格値が飛び出し、競り場は沸いた。黒いダイヤの異名をとるほど高値がつく国産の本マグロだが、高い魚を競り落とすことが仲買人の仕事ではない。築地から豊洲で、かれこれ80年にわたって、最高峰である国産の本マグロだけを競り落としてきた老舗仲卸の三代目に話を聞いた。
本当に旨いマグロは人生観さえも変える。
上の見出しにある迷信めいた言葉を耳にしたのは、ずいぶん昔のことだった。言葉の主は東京・銀座に店を構える、その世界ではつとに名の知れた鮨屋の主人だった。ただ旨いのではなく、人生観さえ変えてしまうというのだから尋常ではない。
鮨屋の主人がマグロを仕入れていた店が、東京都中央卸売市場(豊洲市場)にある。
現在、豊洲市場にはマグロを扱う店(仲卸)がおよそ200軒あると言われているが、その店はマグロの中でも、日本近海で獲れた生の本マグロ(黒マグロ)だけを厳選して扱う。
屋号を「石司」という。
朝5時。豊洲市場では築地時代と変わらぬ朝の儀式が始まる。マグロの競りだ。体育館ほどの広さの高い天井の競り場には、大小さまざまなマグロが並べられていた。その数、およそ200本。ひと口にマグロと言っても、その多くが冷凍マグロ、ジャンボと呼ばれる輸入物、養殖や蓄養などになる。日本近海で獲れた天然の本マグロは、わずか一部でしかない。
早朝から多くの人でごったがえす競り場で、目をひく緋色のヤッケを羽織った集団がいる。「石司」三代目で若主人の篠田貴之(通称・貴)さんと、店の従業員たちだ。彼らこそ日本最高峰のマグロを競り落とす精鋭集団だ。かつて市場が日本橋にあり「魚河岸」と呼ばれていた時代、ここで働く男衆は、魚の買い方、客との付き合い方にまで譲れない流儀があった。それを江戸っ子は「ツウ」とか「イキ」と評した。貴には日本橋、築地、そして豊洲へ、連綿と受け継がれてきた魚河岸の鯔背な気配を感じさせる。
「マグロは個体差が激しく、季節、海の状態、水揚げ時の天候と水温、魚の餌、漁法、漁師の性格、釣り上げてからの処理、輸送されるまでの保存状態によって品質が微妙に異なります。とくに本マグロが旬を迎える晩秋から冬は日本海に発達した低気圧が居座り、海が時化るので入荷そのものが少なくなる。満点の魚はそうあるものではありません」
魚の腹を割ってしまえば、その魚の良し悪しは容易にわかる。ただ、競り場に並んだ“マル”と呼ばれる状態で、そのわずかな差を見極めるには、単に経験だけではなく、あらゆる手段でマグロの素性を想像する感性が必要だ。
貴の「目利き」を信頼して、全国の鮨職人が「石司のマグロ」を求める。目利きで重要なのは競り前に魚の状態を確かめる「下付け」だ。多くの仲買人は切り落とされたマグロの尾っぽの断面を懐中電灯で照らしたり、その腹を丹念にめくって脂の乗り具合を確かめる。
しかし、貴が競り場に入るのは競りが始まるきっかり10分前。競り場を見渡し、気になる魚の皮目の感触だけを確かめて早々と本番に臨む。その姿には気魄がみなぎっている。何より最初に魚を見たときの直感を重要視するという。
お客様ありき、魚ありき。
「多くの仲買人はマグロを競り落としてから、腹を割ってはじめて、その魚をどの鮨屋に売るのかを考えます。つまり後付けなんです。けれども、私は競り場の時点で、その魚の状態を見極めるように努めています。そして、お客様の好みにできるだけ近い魚だけを競り落とします。マグロに個体差があるように、マグロを扱う鮨職人にも個性があります。食感や柔らかさを重視する人もいれば、パッと色の映える魚を好む人もいる。その日の注文に合わせて、その魚の個性を見抜き、お客様に満足してもらう。それがプロの仕事であり、本当の目利きだと思っています」
魚をおろさずに、どうやって状態と個性を見極めるのか。貴は言葉にはできない感覚的なものだとしつつ、今、目の前で対峙している魚が、過去に自分が競り落としたどの魚に近いのかを瞬時に頭の中で付き合わせるのだという。だからこそ、毎日、競り落としたマグロの腹を割る瞬間は緊張する。マグロの良し悪しよりはもちろん、自分の評価通りなのかが気になるのだ。貴は高い魚を買うことほど楽なものはないと笑う。
「現金さえ積めば、その日、一番高い魚は買える。けれども、買えばいいというものではない。高すぎる魚はお客様にも負担をかけるし、仮にお客様には転嫁せずに自分でかぶるとしても、どこまでかぶり続けることができるのかという話になる。もちろん、どうしても手に入れる必要がある魚が、その日、一番高い品物だった場合は仕方がない。無理をしてでも買う。けれども、決して高い魚が欲しいわけでも、特定の産地の魚が欲しいわけでもない。うちはお客様ありき、そして、魚ありきなんです」
「石司」の店先には入れ替わり、立ち替わり、客がやってくる。そこで交わされる会話に「出来上がっている魚」という言葉がある。「出来上がる」というのは、その魚の旨さがピークに達している状態を指す。つまり、当日すぐ使う必要がある場合は「出来上がっている」魚でなければならない。逆に、あと数日、ねかせた方が旨さが開く場合だってある。そんな魚を「若い魚」と表現する。いずれにしても、魚の旨さの頂点を見極め、ときには熟成をかけてマグロの旨さを引き出すことも仲買人の重要な仕事なのだ。
年の瀬から松の内にかけてはマグロの価格は跳ね上がる。時にはキロ単価が普段の3倍の3万円、4万円になるなど、馬鹿がつくほど高騰することもある。本マグロは絶滅危惧種に指定されるほど希少である上、この時期は時化も多いので、マグロが競り場全体で数本という日だってある。それでも、マグロがなければマグロ屋はやっていけない。築地から豊洲に移り、借金をして構えた新店舗に貴はある夢を託している。
「築地時代は『大間』など産地で魚を選ぶのが主流でしたが、これからは、産地よりも『船』を優先したい。日本各地には釣ることはもちろん、どうすれば、自分の魚がよりよい状態でお客様の元に届くか、日夜、考え努力している若い船首もいます。豊洲に移転して店舗を広げたのも、この場所を生産者、料理人、仲買人の交流の場にしたかった。職業を超えて、同じ方向を向いて仕事をできることは、すばらしいことだと思っています」
貴は未来を見据えている。その誠実な眼差しこそ新しい時代にふさわしい。「石司」のマグロで人生観が変わったというのも納得できるというものだ。
文:中原一歩 写真:鵜澤昭彦
中原 一歩(ノンフィクション作家)
1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。
出典:dancyu